明顕山 祐天寺

論説

歌舞伎・浄瑠璃と仏教(十五)※正しくは十六

高僧

祐天寺研究室 浅野祥子

 歌舞伎・浄瑠璃と仏教を考えるうえで、高僧を取り上げた作品も目に付きます。仏教を民間に広めるうえで大きな役割を果たした高僧の業績やその逸話は、芝居に合うように脚色されて作品の上に表れています。

『黒塚』
この作品は、謡曲(能)の『黒塚』をもとに作られた歌舞伎舞踊(物語の中に多くの舞踊を盛り込んだ戯曲)です。作詞は木村富子、作曲は四代杵屋佐吉、振付は二代花柳寿輔で、昭和26年(1951)に歌舞伎座で二代市川猿之助によって初演されました。

作品中に出てくる那智の東光坊の阿闍梨祐慶は未詳で、謡曲作者の創作した人物ではないかと言われています。「阿闍梨」とは、真言の秘法を授ける僧職の称号です。天台・真言宗にあり、朝廷から任命されました。「あざり」とも言います。

紀伊国那智(現、和歌山県)は古くから那智滝を擁した霊場として知られ、補陀落寺は西国巡礼第1番の札所にもなっています。山伏の修行の地でもありました。「東光坊」とは「東光寺」のことと思われます。東光寺は天仁元年(1108)鳥羽天皇の勅建になる旧跡ですが、のちに廃絶し、毀損した本堂を豊臣氏が修繕したものをのちに、和歌山藩が援助をしていました。

那智の東光坊の阿闍梨祐慶は同行の大和坊、讃岐坊、強力(荷物を持つ従者)太郎吾とともに、心願を果たすため、諸国行脚の旅をしています。
陸奥、安達が原で日が暮れてしまい、宿を探す一行は、老女岩手の住むあばら屋に一夜の宿りを求めます。岩手の唄う糸取り唄に興を覚えた祐慶は、岩手に身の上話を求めます。

祐慶 さて、あわれなる糸取り唄、聞くにつけても古は、さだめて由緒ある人ならん。
大和 さわりもなくば我々に、
讃岐 おん身の上を語りたまえ。
岩手 これは興がる旅人の仰せによりて昔がたり、いかにも妾は都の生まれ。                 父なる人が罪を得しより、妾も共にこのみちのくにさすらいの頃。ゆくりなく夫と契りしその人は。
程なく妾を打ちすてゝ、都へのぼりそのまゝに雁の便りも長の年月、胸に
焚く火の消ゆる間さえ、涙のうちに世を呪い。人を恨みし罪障には、後の世たのむ望みもたえ。
繰るも輪廻の糸車にかゝる姿の。浅ましやな……(ト泣く)。
祐慶 いやいやそれはたがごとなり。作りし罪も仏戒により、悟りの道に入るならば、即ち来世は成仏得脱。
岩手 さらば一念発起なし、仏戒をだに授かりなば、いかなる罪も消滅とな。
祐慶 いかにも。たとえば鬼神魍魎も、知我心者即身成仏と説かれたり。
岩手 あら嬉しや、高き聖の教えにより年頃の迷い、妄執の雲霧さえ晴れゆく心地ぞ。
祐慶 思わず時をすごしたり。やよ方々、われらは後夜のつとめをなさん。
岩手 お勤めとあらばその間、夜寒をしのがせ給うよう、妾は上の山へ上り、木とりて焚火にあて申さん。
祐慶 その志はうれしけれど、夜寒をいとう我らならず。
大和 老の身にて夜深に山へ上るなどとは危きこと。
讃岐 たゞこのまゝに休まれよ。
岩手 お言葉なれど朝夕に通い慣れたる山路故、程のう皈り申すべし。

岩手は杖を取り、行き掛けてまた立ち戻る。

岩手 のうのう客僧、妾が山より戻らんまで、あれなる閨の内ばし、必ず必ずごらんじあるな。

岩手は、自分の閨(寝所)を覗くなと念を押して出掛けます。ところが、その言葉にかえって好奇心を抱いた強力の太郎吾は、こっそりと覗いてしまうのです。中には人の死骸が累々と積まれていました。
慌てふためいた太郎吾は僧侶たちにそれを報告し、足の限り草原を逃げていきます。ところが方角を間違え、柴を刈り終えた岩手に遭遇してしまいます。岩手はこれまで、父は罪人となり、夫には捨てられるという恵まれない人生を送ってきました。そして、人や、世の中への恨みや憤りに満ちて暮らしてきた自分は、地獄へ堕ちると観念していましたが、仏戒を授かれば成仏得脱できると祐慶に言われ、今は新たな喜びを得ていました。そして、昔の無邪気な童心に帰り、わらべ歌に合わせて舞い遊んでいたところでした。
「聖の言葉にこの年月、わが罪障の雲も晴れ、今こそ仰ぐ真如の月、心すがしき眺めじゃなア」

ところが、岩手を見付けて恐れ戦く太郎吾の様子を見て、「さては一ト間をごろうじたな」と察します。発心はたちまちのうちに消え失せ、悪鬼の相好に変じます。
「あら憎や腹立ちや、さしも頼みし聖にさえ、偽りのあるからは、我が発願もこれまでなり」

約束を破ったのが祐慶だと誤解した岩手は、鬼女の正体を現して祐慶ら3人に襲い掛かります。しかし、祐慶の法力に祈り伏せられ、夜嵐の闇に紛れて消え失せるのでした。

能では岩手の身の上話はなく、もともと鬼女だったように描かれています。それに比べると、人であった身が人生の流転の苦しみの結果悪鬼と化したという歌舞伎舞踊での脚色は、よけいに哀れであるように思われます。またそれだからこそ、発願したうれしさに、月明りの芒の原の中で老女が無心に踊るさまは、印象的な美しさを放つのです。

岩手に信頼され、会話が進んだ結果、岩手に半生を語らせる役割を阿闍梨祐慶は担っています。不幸にも誤解のために岩手は仏戒を得ることはできませんでしたが、祐慶はこの戯曲の中で非常に重要な役割を果たしています。高僧のひと言により長年の悪鬼を童女のように変貌させるからです。『黒塚』は、高徳の僧侶に対して人々が抱いた期待、尊崇の念がよく伝わる戯曲と言えるでしょう。

今回で「歌舞伎・浄瑠璃と仏教」の連載は終了させていただきます。15回(16回)にわたり仏・菩薩・明王・高僧が登場する歌舞伎をご紹介し、仏教と歌舞伎のかかわりを述べさせていただいてまいりました。仏教と歌舞伎のかかわりはもっと幅広く奥深いものですので、ご興味を持たれた方はさらにご探求いただきたいと思います。長い間ご愛読いただき、ありがとうございました。
「日本文化と仏教」の連載は次回からは「史実と歌舞伎」をテーマに継続いたしますので、引き続きご愛読いただきたくお願い申し上げます。

「祐天ファミリー」34号(H13/12/1)掲載

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