足立姫の伝説(慶安元年「仏教行事」参照)がある六阿弥陀が、主に上野以北と東方に寄って点在しているために、この六阿弥陀が盛んになる元禄年間(1688~1703)以降には西方六阿弥陀も成立しました。西久保大養寺・飯倉善長寺・三田春林寺・高輪正覚寺・白金正源寺・目黒祐天寺の6か寺がこれにあたります。文化8年(1811)から文化10年(1813)にかけて発行された十返舎一九の著作『六あみだ詣』で有名になり、六阿弥陀詣は行楽として第2次大戦前まで非常に流行しました。戦後は戦災の影響もあってか参詣に回る人は少なくなりましたが、現在も廃寺となってしまった善長寺、春林寺を除いて(ただし大養寺は世田谷大吉寺に合併されています)、安阿弥作などの阿弥陀像を見ることができます。