明顕山 祐天寺

年表

昭和16年(1941年)

祐天寺

勝雄、少僧都に

3月27日、井上勝雄(のちの祐天寺20世)が、郁芳隨圓浄土宗管長より少僧都に叙されました。

参考文献
少僧都叙任状

勝雄、守備隊長に

4月1日、勝雄が中華民国徳清県の独立守備隊長と、能崎部隊本部直轄混成小隊長を命じられました。

参考文献
『勇猛精進』

報国大法要、執行

10月30日、玉川組内の報国支部主催による皇威宣揚祈願と護国英霊追悼の法要が、祐天寺にて執り行われました。この法要は組内寺院が総出勤する中、俊興が導師を勤め、厳かに営まれたということです。

法要後に催された護国講演会では、大正大学教授の佐山学順が「白道を歩む者」という題で講演しました。その閉会後は書院にて、祐天寺幼稚園の園児による童謡の合唱や林家正楽による紙工芸、林白猿・猿州による浪曲などが披露されました。参会者は700人を超えたと伝えられ、大変盛況だったようです。

参考文献
『浄土教報』(1941年11月9日付)

防空壕の建設

祐天寺の境内に東京市の防空壕(小型防護室)が建設されることとなり、10月14日に祐天寺は防空壕建設のため境内地を使用することへの許可を、東京府に願い出ました。11月12日に認可され、ほどなく防空壕が建設されました。

東京市土木局道路建設課が作成した図面によると、この防空壕は現在の寺務所前の駐車場から北門に掛けて、鍵形に造られたようです。平成13年(2001)に行った寺務所新設工事の際にその存在が確認され、コンクリート製であることや電力ケーブルなどの配電設備を備えていることがわかりました。老朽化による陥没の恐れがあったことから、現在は埋め戻されています。

参考文献
小型防護室図面、境内地使用ノ件に関する認可証
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