4月29日、井上勝雄(のちの祐天寺20世)が支那事変従軍記章を受章しました。従軍記章とは戦功や階級にかかわらず、従軍した軍人・軍属らに与えられる国家表彰の1つです。また、支那事変とは昭和12年(1937)7月に起きた盧溝橋事件を発端とする日中間の戦争のことで、この記章から勝雄が支那事変に従軍していたことがわかります。
6月27日、勝雄が盛岡陸軍予備士官学校を卒業しました。そして、8月3日に中華民国浙江省菁山へ派遣され、原第七九三四部隊の石山隊付きとなります。11月1日には陸軍少尉に昇格し、菅原部隊本部直轄小隊長として同省武康(徳清県武康鎮)へ派遣され、12月2日には少尉に授けられる位階の正八位に叙せられました。
10月、茂原(千葉県茂原市)に祐天上人遺蹟碑が建立されました。この祐天上人遺蹟とは、祐天上人がかつて茂原の名主の家に逗留させてもらったお礼に寄進した本地生身地蔵大士石像のことです。
この年、祐天上人が中興開山した専称院の移転が完了しました。専称院は豊島(北区)にありましたが、昭和7年(1932)から始まった都市道路計画により移転を余儀なくされ、板橋(板橋区)へ移りました。
4月1日、「宗教団体法」が施行されました。『大日本帝国憲法』では「日本臣民は安寧秩序を妨げず、及び臣民たるの義務に背かざる限において信教の自由を有す」と定められていましたが、宗教団体に関する一般法は作られていませんでした。そのため宗教統制を目指した宗教法案が何度も帝国議会に提出されましたが、そのたびに廃案になっていました。このたび、戦時宗教総動員のため宗教団体への取り締まりを強化するものとして、「宗教団体法」が成立したのです。
以降、宗教団体の設立には「文部大臣又は地方長官の認可」が必要とされ、文部大臣は宗教団体に対し、監督、調査、認可の取り消しなどの権限を持つと定められました。そのため、この法律は既成宗教団体の統制に利用され、戦後はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の命令により、昭和20年(1945)12月28日に廃止されました。そして、昭和26年(1951)には「宗教法人法」が施行されました。