1月10日、井上勝雄(のちの祐天寺20世)は陸軍宇都宮歩兵第五九連隊に入営し、9月20日には甲種幹部候補生に任命されました。
4月、横光利一の随筆集『考える葦』が創元社から出版されました。この中の1編「芭蕉と灰野」に、利一が母から聞いたこととして、佑天上人(祐天上人のこと)が松尾芭蕉の生家で生まれたという話が書かれています。
利一は母の実家がある柘植(三重県伊賀市)の野村という小字で、幼少期の4年間を過ごしました。川の対岸には芭蕉の生家がある灰野という小字があり、利一の祖母が松尾家の出身であったことから、利一は自分を芭蕉の末裔だと信じていたそうです。実際には利一と芭蕉に血縁関係はありませんが、この話に利一は特別な思い入れがあったようで、次男を祐天上人に因んで佑典と名付けています。
6月、杉浦家より雅楽に使う三鼓(鉦鼓、太鼓、鼓)が奉納されました。
9月1日、勝雄は郁芳隨圓浄土宗管長より輔教(僧侶の教階の1つ)に叙せられました.
10月26日、俊興が司法保護委員に就任しました。これはこの年に成立した「司法保護事業法」に基づいて設置された役職で、成人の起訴猶予者や仮釈放者などへの更生保護事業を行いました。俊興はこの委員として観察保護の任にあたりました。
12月12日、祐海筆の祐天上人画像をはじめ、徳川将軍家から下賜された金襴の打敷など、祐天上人生家の新妻家が所蔵する品々を福島県が調査しました。
これらの品々は同月15日付けの『福島民報』紙上で、「重要美術品として準国宝の班に列せられる日も近いだろう」と紹介されました。