明顕山 祐天寺

年表

昭和7年(1932年)

祐天寺

勝雄、師僧替え

3月10日、のちに祐天寺20世となる福田勝雄の伯父で、宇都宮光琳寺(栃木県宇都宮市)25世の井上教運が遷化しました。法名は楽蓮社讃誉念阿證誠教運大和尚です。

教運に跡継ぎがいなかったことから、勝雄が大正大学卒業後に光琳寺を継ぐことが決まります。このとき勝雄は3月8日に栃木県立大田原中学校を卒業したばかりで、4月から大正大学専門部仏教科に進学することが決まっていました。
勝雄は光琳寺を継ぐにあたり、師僧を父の福田大冏〔黒羽常念寺(同県大田原市)27世〕から故教運へ替え、井上家の養子となりました(昭和10年「祐天寺」参照)。

参考文献
『勇猛精進』

寺格、変更

3月31日、祐天寺の寺格が変更され、独礼5等から准檀林4等に列せられました。

参考文献
准檀林4等の証、『俊興上人の業績』

阿弥陀堂、修復

4月、阿弥陀堂が修復されました。このときに納められた棟札から、その修復に携わった大工棟梁が齋藤郡蔵、大工が齋藤清八、鳶が各務末吉、木挽が島村磯吉、銅工が酒井正治であることがわかります。また、銅工が関わっていることから、屋根の葺き替えも行われたものと考えられます。

参考文献
阿弥陀堂修復の棟札

『大東京編入地区明細図』2輯、出版

6月15日、『大東京編入地区明細図』第2輯が帝國在郷軍人会目黒町分会より出版されました。本書は大東京編入地区のうち目黒町の番地および坪数の入った地図と、その地主の人名表で構成されており、祐天寺の土地も記載されています。

参考文献
『大東京編入地区明細図』第2輯(小宮山辰二郎編、帝國在郷軍人会目黒町分会、1932年)

仁王像、修復

6月28日、仁王像の修復が終了し、開眼されました。このときに納められた棟札には仏師の中島國治、大工棟梁の齋藤郡蔵、大工の齋藤清八の名が記されています。

参考文献
仁王像修復の棟札

目黒区、誕生

10月1日、目黒町と碑衾町が合併して目黒区が誕生しました。江戸時代の祐天寺の住所は武蔵国荏原郡下目黒村(一部の資料では中・下目黒両村とある)でした。明治2年(1869)1月に品川県が誕生すると(明治2年「祐天寺」参照)、祐天寺は品川県に属します。同年11月に品川県は東京府品川県とされ、大区小区制が施行されました。

明治7年(1874)の『祐天寺書上』によると祐天寺の住所は、東京府管下武蔵国荏原郡品川県第七大区五小区下目黒村169番地でした。それが明治10年(1877)の『浄土宗明細簿』では武蔵国荏原郡中目黒村69(1、067)番地となり、下目黒から中目黒へと変わっています。

その後、明治22年(1889)5月1日に目黒村が誕生したことから、明治28年(1895)の『寺院取調書』には東京荏原郡目黒村大字中目黒1、064番地とあり、さらに明治33年(1900)の『明細帳』には中目黒1、067番地とあります。

そして、この年に東京市目黒区が誕生したことにより荏原郡は消滅し、祐天寺の住所は東京市目黒区中目黒3丁目1、067番地となりました。現在の住居表示は東京都目黒区中目黒5丁目24番53号です。

参考文献
『目黒区大観』(目黒区大観刊行会編集・発行、1935年)、『祐天寺書上』(増上寺蔵)、『浄土宗明細簿』(東京都公文書館蔵)、『寺院取調書』(祐天寺蔵)、『明細帳』(祐天寺蔵)

諸堂の修繕・増築

10月、俊興は老朽化が進んできた仁王門、鐘楼堂、阿弥陀堂、稲荷堂の修繕の許可を東京府へ願い出ました。これら堂宇の修繕工事の仕様書によると、修繕はすべて現状維持を基本として行われたようです。工事の総予算額は1万8、815円90銭でした。

また、都市計画により駒沢通りを拡張することとなったため、通り沿いの樹木や生垣を移転したところ、境内が露出して見苦しくなったことから、木造塀を増築しました。塀の設計図によると、大谷石の布石の上に檜造りの土台を置き、その上の塀の部分を杉で造り、さらに塀の上に瓦屋根を掛けたようです。この木造塀の増築費用は2、674円でした。

参考文献
「堂宇修繕許可願」、「木造塀増築許可願」

新東京八名勝記念碑、建立

11月、新東京八名勝記念碑が表門の前に建立されました。碑の表面に彫られた「新東京八名勝 目黒 祐天寺」という文字は、当時の東京市長だった永田秀次郎の揮毫です。

この年の8月11日から9月10日までに報知新聞社が、東京市域拡張を記念して新市域における八名勝を選定する目的で行った投票により、祐天寺が第6位に選ばれたため、報知新聞社がこの記念碑を建立しました。『報知新聞』には「たまたま祐天寺が新市域八名勝に当選したため」と書かれていますが、祐天寺では八名勝に選ばれたことを記念して絵はがきを発行しました。

参考文献
新東京八名勝記念碑、『祐天寺研究』(中島征伍編集・発行、1987年)
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