1月13日、祐天寺のかさね塚において俊興を導師として、累の追福法要が営まれました。6世尾上梅幸、15世市村羽左衛門、5世清元延寿太夫のほか13世守田勘弥などの歌舞伎役者をはじめ花柳界からも大勢の参列者が集まり、大変華やかな累供養となりました。
2月、館林善導寺(群馬県館林市)の山門の北側に、祐天堂が再建されました。再建された祐天堂は間口7間(約12.6メートル)、奥行4間(約7.2メートル)という大きさで、堂内には幕末に川越蓮馨寺(埼玉県川越市)から寄付された祐天上人像が安置されていたそうです。しかし、昭和59年(1984)に善導寺が館林市の都市計画に伴って移転される際に祐天堂は取り壊され、祐天上人像の所在も不明となりました。
3月20日、日野良貫の『高僧伝』が浩文社より出版されました。本書には祐天上人の伝記が掲載されています。良貫は昭和2年(1927)に、人生哲学研究会編集の『高僧伝』を基にした『高僧伝二十講』を春江堂より出版していました(昭和2年「祐天寺」参照)が、この年に出版された『高僧伝』は『高僧伝二十講』の中から15編を抜粋したものです。ヒーローとして描かれた祐天上人の話が広く世間に受け入れられ、再版を繰り返して読み継がれていたということがわかります。
4月、浄桂院(目黒区。昭和3年「祐天寺」参照)の本堂と庫裡が完成し、5月19日に入仏法要が行われました。
8月16日、『磐城時報』に「盆が来た 踊れ踊れ夜明かし踊れ 名物 郷土のジャズ」という見出しでじゃんがら念仏が紹介されました。この記事では「ジャンガラ念仏で使用する太鼓や鐘がジャズの曲想にも劣らない」と評価され、「ジャンガラ念仏を創設して今日まで伝えたのは祐天上人だ」と書かれています。
9月、深川本誓寺(江東区)に祐天名号付き小津家供養塔が建立されました。この塔は、小津家と小津3店(小津商店・大橋商店・小津木綿商店)の供養塔です。
小津家は江戸時代から松阪(三重県松阪市)で和紙や伊勢木綿などを製造・販売していた大店で、松阪清光寺で行われていた十万人講(正徳3年「祐天上人」参照)の信者です。祐天寺境内に建立された百萬遍塔(文政4年「祐天寺」参照)の台石にも、当主である小津清左衛門の名前が刻まれています。