1月1日、祐天寺前住職の愍随は、増上寺内に設置されていた七島別教区教務所の理事に任命されました。教務所とは教区の行政をつかさどるところで、七島とは伊豆七島のことです。別教区には七島のほかに南豆(静岡県)、高徳(高知・徳島県)、岐対〔壱岐・対馬(長崎県)〕、淡路(兵庫県)、隠岐(島根県)がありました。
浄土宗の中興上人聖冏の500回遠忌にあたり、祐天寺では5月に金15円、11月に金5円を小石川伝通院へ寄付しました。
浄土宗の第7祖であり、伝通院の開山でもある聖冏は五重相伝を創案し、浄土宗のその後の発展の礎を築きました。
6月27日、大正天皇生母の二位の局が、父の孝靖院殿(明治18年「祐天寺」参照)の祥月供養のため祐天寺を参拝しました。午後1時頃に自動車で祐天寺に到着され、しばらく愍随と歓談したのち、本堂にて営まれた法要に参列されました。
6月28日、祐天寺で賭博をしていた消防組の一番組の組頭以下22人が現行犯逮捕されました。
7月、愍随が宗教大学図書館(現、大正大学附属図書館)建設の発起人となり、俊興は建築資金として500円の寄付金を申し込み、大正10年(1921)1月に完納しました。
宗教大学にはこれまで図書館がなく、5万冊以上の図書が本館と接する1棟の木造の事務室に置かれていました。火事などが起きれば貴重な宝典などを失う恐れがあります。これらの図書の保管などや宗門教育のためにも図書館は必要であったことから、新築することとなったのです。
この図書館は大正11年(1922)3月に竣工し、同年5月21日に落慶式が行われました。
8月、野田文六の紀行文『東京を中心として名蹟勝地一日の遊覧』が大町桂月の監修により大阪で出版されました。本書の「目黒の不動と祐天寺詣で」という項には、祐天寺の簡単な寺歴のほかに「寺宝に女院御所より賜わりし、蜀紅錦の袈裟、累済度の法衣あり、賽人の望みによりて従覧を許さる」などと紹介文が掲載されています。
12月25日、祐天寺は増上寺大殿の再建資金として1、000円の寄付金を完納したことから、増上寺より感謝状をいただきました。