1月1日、芝真乗院(港区。大正元年「祐天寺」参照)14世順応が遷化しました。法号は尊蓮社顔誉上人随阿至道順応和尚です。祐天寺に建立されている真乗院の歴代上人を合祀した亀趺塔(明治22年「祐天寺」参照)に、その法号が追刻されました。
1月15日、祐天寺から小山常光寺(栃木県小山市)へ祐天上人像が寄贈されました。愍随の添書から次のことがわかります。祐天上人が飯沼弘経寺(茨城県常総市)の住職を勤めていたときのことです。祐天上人が両親の菩提を弔うために厳修した百萬遍念仏で使用した大念珠を、常光寺6世達秀に授与しました。それ以来、近郷の村々でもその大念珠をお迎えして百萬遍念仏が修行されるようになりました。この話を耳にした愍随は、念仏の利益が一層弘まることを願って、祐天寺内仏殿に安置されていた祐天上人像を常光寺へ寄贈することにしたということです。このときの常光寺住職は22世悦順でした。
4月5日には齋藤新平からその祐天上人像の厨子に垂らす帳が寄進されたほか、9月には堤佐四郎を施主として祐天上人名号軸が再表具されました。この名号軸は弘化4年(1847)に、常光寺20世説順が表具したものでした。
1月から地蔵堂の修繕工事が始まりました。地蔵堂の内部、縁側、屋根などの大規模な修繕が行われ、これらの費用は3、200円にも上りました。
3月20日から東京大正博覧会が上野公園(台東区)で開催されるのを機に、三越呉服店(現、日本橋三越)が『三日間東京案内』というパンフレットを無料で配布しました。地方から東京に訪れた客向けに「好うこそ御上京になりました!」と呼び掛け、3日間で回れる東京見物のコースを紹介したものです。祐天寺は3日目のコースに含まれ、「金杉から◇3印目黒行へ乗れば、目黒不動、祐天寺等へ行けます」と紹介されています。
6月27日、荏原郡(目黒区)より大形の提灯および提灯掛けが届けられました。これは、4月9日に崩御された昭憲皇太后(明治天皇の皇后)の大喪儀に供えられ、荏原郡に分譲されたものです。昭憲皇太后は大正天皇の養母であり、祐天寺が大正天皇の生母の菩提寺である縁から、祐天寺に届けられました。
7月3日、浦賀東林寺(神奈川県横須賀市)に、祐天上人名号付き練誉墓が建立されました。練誉は東林寺中興21世です。
これ以降、この墓は東林寺歴代上人墓となります。
11月5日、のちに祐天寺20世となる福田勝雄が、黒羽常念寺(栃木県大田原市)27世福田大冏とマン夫妻の次男として生まれました。大冏は元旗本の小笠原猛雄の次男でしたが、福田家の養子となりました。母マンは宇都宮光琳寺(栃木県宇都宮市)25世井上松運の長女です。勝雄は一時期、井上家の養子となって光琳寺27世を勤めたのち、愍随の長女の巖谷美壽子と結婚して祐天寺住職となります。