3月14日、愍随は増上寺77世堀尾貫務大僧正より、規則の変更によって任を解かれていた法然上人700年御遠忌準備局評議員に再任されました。
4月27日、菱川香夢の『成田山感應記』が統文館より発行されました。香夢は例言の中で本書を著した理由を「異端邪説の蔓延する世の中を憂い、成田山の不動明王の霊験を弘めようとした」と述べています。本書には「道誉上人、祐天上人附智慧を授る」という題で、愚鈍だった祐天上人が不動明王の利剣を呑み、聡明になるという話が収められています。
5月、愍随は地蔵縁起碑を地蔵堂前から本堂前に移しました。また、その隣に消防組の第一区から第六区までの各組と宮内省消防の人々の名前が刻まれた「各区消防紀念碑」が建立されました。さらに6月には第二区・第三区消防組から、組頭や小頭らの名前と各組の纏が彫られた玉垣が奉納され、安政4年(1857)に建立された祐天上人名号付き五番組供養碑の周囲に建てられました。
6月、飯沼弘経寺(茨城県常総市)74世観琇が『檀林史中弘経寺史』を完成させました。本書には「祐天上人作とされる本地十一面観音の石像が相善権現社に、本地地蔵尊像が愛宕宮に祀られている」と書かれています。
8月、渋沢家より煙草盆が寄進されました。
12月20日、東陽堂から『大日本名所図絵』シリーズの第83編『東京近郊名所図絵』第8巻が出版されました。本書には荏原郡(目黒区)の有名墳墓として、祐天寺の祐天上人墓のほか華族の日野資秀や、有職故実家の松岡梅軒・行義の墓が紹介されています。また、品川清岸寺(品川区)の祐天上人手植えの桜(祐天桜)も「風姿賞観すべし」と紹介されました。