2月26日、愍随は増上寺の増築費として50円を献納しました。また同日、4月24日の御忌において導師代勤をするよう、増上寺77世堀尾貫務大僧正より命じられました。さらに4月26日、愍随は学徳をたたえられ「耆宿」に列せられました。耆宿とは、学徳の優れた老大家という意味です。
5月14日、消防組の一四番組から花瓶台が寄進され、本堂に置かれました。一四番組とは本所区(墨田区)、小梅村(同区)、亀戸村(江東区)の消防を担当していた北組の1つです。また、同月には文化13年(1816)に江戸町火消のせ組から寄進された「御寳前」の額が修復されました(昭和9年「祐天寺」参照)。
6月24日、愍随は山下現有浄土宗管長より浄土宗教育資団勧募委員を委嘱されました。
7月23日には堀尾大僧正より法然上人700年御遠忌準備局評議員に任命されました。また、12月12日に愍随は、山下管長より第一大教区荏原小教区教務支所長留任の辞令を受け取りました。
9月20日、愍随は祐天寺の庫裡(現、書院)の増築および一部の模様替えの許可を東京府へ願い出て、10月2日にその許可が下りました。
明治27年(1894)の火災後に再建された庫裡は狭く、法要の際に支障が出るようになっていました。そこで、台所と浴室を執事室と物入れに模様替えし、さらに建坪35坪の木造瓦葺きの建物を増築して茶の間と兼用の受付や、台所、下男部屋などとすることにしたのです。この工事は12月30日に完了しました。
10月、好古社より『好古類纂拾遺』第1冊が刊行されました。本書の「祐天和尚」という項に、祐天上人の経歴が記されています。