4月9日、愍随は山下現有浄土宗管長より、東京忠魂祠堂(港区)で行う臨時慰霊祭典の委員を命じられました。東京忠魂祠堂とは、日清戦争後に浄土宗が全国の10か所ほどに設けた戦没者祭祀施設の1つです。5月にも愍随は、青山(渋谷区)と上野(台東区)で行われる各宗合同大供養会の委員を命じられました。
6月30日、浄土宗臨時賑恤本部の解散にあたり、愍随はそれまでの功労をたたえられ、廣瀬了眼賑恤本部長より賞状および慰労記念の折五条袈裟を贈られました。
7月、消防組の元六番組より燭台と常花が奉納されました。
8月25日、愍随は山下管長より緋衣被着の許可を得ました。当時の浄土宗では大僧正と、特に許可を得た正僧正のみが緋色の衣の着用を許されました。
8月27日、岡田国兵衛の遺言により、その息子の銘太郎から大威徳明王図が祐天寺に寄進されました。
この年の10月から12月に掛けて、仁王門の屋根の総葺き替えおよび、本堂・庫裡の屋根の修繕を行いました。そのほか、雨樋の掛け替え、畳の表替えも行いました。
12月、『続日本高僧傳』10巻が吉川弘文館より再版されました。本書は道契が撰述し、大内青巒が校訂したもので、明治17年(1884)に鴻盟社から稿本が出版されていました。本書に収録されている「江戸増上寺沙門祐天傳」は、『泉谷瓦礫集』(天明4年「出版・芸能」参照)に収められている祐天上人の伝記を抄出したものです。