明顕山 祐天寺

年表

明治37年(1904年)

祐天寺

霊従、遷化

2月10日、祐天寺前住職霊俊(祐天寺16世)の弟子の霊従が遷化しました。法号は天蓮社俊誉上人照阿賢善霊従和尚です。霊従は板橋(板橋区)の小松家の出身でした。

参考文献
『寺録撮要』1

賑恤支部委員長に

2月13日、愍随は日露戦争(事件・風俗」参照)の時局に対応するため、浄土宗臨時賑恤部長の樋口便孝より辞令を受けて臨時賑恤支部委員長に任命されました。また、3月30日には恤兵資金として7円を浄土宗臨時賑恤本部に寄付しました。

参考文献
『経歴概記』

野戦砲兵隊の本部となる

3月7日、祐天寺は日露戦争へ出征する征露皇軍野戦砲兵第十三聯隊の段列本部(段列編成委員事務室)および被服庫、武器庫に充てられました。将校以下20人ほどが宿泊し、4月13日に戦地へ赴きました。愍随はそれらの兵士たちに、浄土宗務所で印施した軍中守護本尊などを授けました。

参考文献
軍中守護本尊、『経歴概記』、『備忘概記』

寺院

大日本宗教家大会、開催

5月16日、神道・仏教・基督教の各指導者や信者、宗教学者などが一堂に会して、大日本宗教家大会が芝公園(港区)の忠魂祠堂会館で開催されました。

大会では「日露の交戦は日本帝国の安全と東洋の永遠平和を図り、世界の文明正義人道のために起こったのであって、宗教の別、人種の異同に関係するものではない。そのため、私たち宗教家は宗派人種の異同を問わず、ここに集まり、各自公正の信念に訴え、この交戦の真相を世界に向けて表明し、速やかに光栄ある平和の克復を見ることを望む」と宣言され、平田盛胤、村上専精、小崎弘道ら各宗教の代表者と、アメリカ人宣教師ウィリアム・インブリーが演説をしました。各宗教の代表者の演説内容は「日露戦争は一部で言われているような、宗教間の戦争ではないこと。日本には信教の自由があり、信じている宗教は違っても、皆が国家のために尽くすこと。異端外道と排斥し合っていた各宗教が一致団結しよう」というものでした。

参考文献
『近現代仏教の歴史』(吉田久一、筑摩書房、1998年)、『宗教家大会彙報』(大日本宗教家大会事務所編、金港堂書籍、1904年)
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