6月23日、千葉県東葛飾郡松戸町(千葉県松戸市)の野間成庸から宝塔名号軸が祐天寺へ奉納されました。25日に霊俊は、その名号が祐天上人の真筆である旨などを裏書きしました。
正面に「大巖寺十五世」と記されていることから、この名号は祐天上人が大巖寺住職を勤めていた元禄12年(1699)から同13年(1700)の間に書かれたことがわかります。
8月6日、『今祐天』が大阪市の藤谷長吾により編集・発行されます。同市の岡本仙助がその販売を手掛けました。内容は、某藩藩士の沢辺丈五郎と安積良右衛門が果たし合いののち、負けた沢辺氏の子孫が安積氏の子孫に復讐し、藩の乗っ取りを企むというものです。しかし、本書に繰り広げられる数々の事件が復讐劇にまつわるものだとは最後まで明かされないまま、忠義譚として話は進んでいきます。
「今祐天」とは本書に登場する僧侶沢念が、十念により重篤の病人でも平癒させることができると噂される人物であることから、誰ともなしに彼をこう呼ぶようになったものです。沢念は人々に尊敬される高徳の念仏行者として描かれており、当時の人々の祐天上人に対するイメージがうかがえます。
また、10月19日には『祐天上人御実伝記』が東京銀花堂より出版されました。『祐天上人御一代記』(明治16年「祐天寺」参照)と同じ内容です。
12月7日、松濤泰成が遷化し、法号が祐天寺に納められました。
法号は妙蓮社観誉上人念阿覚樹泰成大和尚です。
泰成は芝宝松院(港区)18世、小石川伝通院(文京区)66世を歴住したのち、麻布阿弥陀寺(港区)に隠棲して専心念仏を修しました。宝松院在住中の明治9年(1876)に祐天上人坐像を作成(明治9年「祐天寺」参照)し、翌年10月には『祐天上人法語』の折本を印施しました。