明顕山 祐天寺

年表

明治27年(1894年)

祐天寺

無能寺に地蔵菩薩画石碑、建立

8月24日、桑折無能寺(福島県伊達郡)に地蔵菩薩画石碑が建立されました。石碑の正面には「祐天寺拾六世 念誉祐鎧霊俊拝冩」と彫られており、霊俊が写した地蔵菩薩画を基としていることがわかります。

無能寺には祐天寺2世祐海が描いた無能寺開山無能の肖像画や祐海の揮毫した名号があります。また、祐天上人の肖像画なども所蔵されています。

参考文献
地蔵菩薩画石碑(無能寺)

前光、逝去

9月2日、柳原前光伯爵が逝去しました。法号は俊徳院殿正二位勲一等伯爵頴誉巍寂大居士です。前光は柳原光愛(明治18年「祐天寺」参照)の次男として生まれました。母は長谷川歌野(明治24年「祐天寺」参照)です。清やロシアの公使、元老院議長、枢密顧問官などを務め、『皇室典範』の制定にもかかわった人物です。

同月7日午前6時、家従数人の先導による葬列が麻布(港区)の柳原邸から出棺し、菩提寺の祐天寺に向かいました。高張提灯2対を先頭に「正二位勲一等伯爵柳原前光君の柩」と記した旗、有栖川・小松両宮家の人々や諸大臣、有爵者などから贈られた造花20余対、僧侶数人と導師が続き、香炉と位牌および勲章9個を捧げ持つ家従のあとを前光の柩が進みました。そのあとを喪主の柳原義光、前光夫人の初子と娘、そして冷泉為紀伯爵、入江為守子爵などが馬車にて従いました。さらに渡辺国武大蔵大臣、近衛忠煕・一条実輝・徳川家達・九条道孝の各公爵、鍋島直大・木戸孝正・黒田清綱・蜂須賀茂韶・醍醐忠敬・伊達宗徳の各侯爵、花房義質宮中次官、東久世道禧伯爵、副島種臣・河瀬真孝・佐野常民の各枢密顧問官などの会葬人も葬列に加わり、午前7時に祐天寺に着きました。妹の愛子(大正天皇生母。明治18年「祐天寺」参照)は、祐天寺で柩を迎えたということです。

また、12月には前光の墓前に燈籠1対が建立されました。寄進者は前述の葬送列席者をはじめ陸奥宗光、西周、前島密ら正二位侯爵から従五位男爵までの総勢128人です。

参考文献
柳原前光霊前燈、『本堂過去霊名簿』、『読売新聞』(1894年9月8日付)

祐天寺回録

9月12日、午後11時半頃に祐天寺で回録(火災)が起こりました。庫裏付近から火の手が上がり、本堂と奥書院、小書院、大書院、宝庫を焼き尽くして、翌日の午前3時頃に鎮火しました。徒弟や寺男たちの働きにより本尊祐天上人坐像とその宮殿のほか、位牌や過去帳、錦の九條袈裟などは持ち出すことができましたが、数多くの宝物が灰燼に帰したということです。現在の本尊宮殿にも、その焼けた痕を見ることができます。また、消火の際に住職の霊俊は頭部に微傷を負ったそうです。

出火の原因は、当時祐天寺の台所の土間を借りていた硝石製造業者の火の不始末だと言われています。業者は土間に竈を築き、板羽目の外に煙突を建てて硝石を製造していましたが、職工が就寝後、板羽目のところに積み重ねていた焚き付け用の松葉などから出火しました。その日は職工が1人で作業しており、異変に気付いて寺の者を呼んで消火に努めましたが、火はたちまち燃え広がってしまったということです。また一説には、同年6月に起こった地震の際に亀裂が入った煙突を修繕することなく使っていたことが原因だったとも言われています。さらに、消火用水の確保に手間取ったことも被害を大きくしたようです。

参考文献
『東京朝日新聞』(1894年9月14日付)、『都新聞』(1894年9月14日付)、『読売新聞付録』(1894年9月14日付)、『明教新誌』(1894年9月16日付)

選擇寺の名号軸箱書

10月、祐天上人名号軸の箱に「祐天大僧正御真筆六字法号入函」「千葉県上総国望陀郡木更津町五平町紀伊国屋山口重五郎所有」と記されました。現在この名号軸は木更津選擇寺(千葉県木更津市)に所蔵されており、選擇寺36世禅応が山口家の出身であることから、禅応が晋山時に奉納したと考えられています。

選擇寺と祐天寺との関係は、選擇寺23世珂春の代にまでさかのぼります。選擇寺本尊阿弥陀如来像は、珂春の師である九品仏浄真寺(世田谷区)開山の珂碩から譲り受けた像でした。すでに傷みが激しかった本尊の再興にあたり珂春は、珂碩へ仏頭内に名号の染筆を懇望しますが、珂碩は「祐天師はその行業余に勝る。芝嶽了也大僧正は当時の碩徳たり。当に此等の師にその名号を乞うべし」と答えました。そこで珂春は、祐天上人と了也大僧正から名号を請い受けて再興を目指します。祐天上人と了也大僧正が仏頭内に名号を染筆したのは、その肩書きから元禄7、8年(1694、5)頃の出来事と推測されますが、珂春が志半ばで遷化したため、実際に再興されたのは宝暦6年(1756)のことでした。

選擇寺にはこのほかに、生実大巖寺(千葉市中央区)・飯沼弘経寺(茨城県常総市)時代の祐天上人名号軸や祐天上人名号付き阿弥陀三尊来迎図などが所蔵されています。

参考文献
祐天上人名号軸箱書・『本尊由来記』(選擇寺)

本堂再建工事、入札

この頃、祐天寺本堂再建工事のための入札が行われ、京都と伊豆の業者が入札に参加し、伊豆の業者が落札したということです。伊豆松崎(静岡県賀茂郡)の大工斉藤利八の子孫に、そう言い伝えられています。

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