祐天寺では正五九月に不動明王を開帳していました。この年の正月も例年どおり開帳し、宝物を公開すると発表しました。
3月29日に松阪大火が起こり、松阪常念寺(三重県松阪市)の本堂が類焼しました。しかし、祐天上人絵像付き名号軸(天保3年「祐天寺」参照)は焼失を免れました。
6月、「祐天寺では芍薬が散って、百合が花盛り」と新聞で報道されました。
6月、函館(北海道函館市)の資産家である泉藤兵衛が祐天上人筆万徳名号付きご肖像の軸が納められた箱に由来を書きました。この万徳名号軸は昭和45年(1970)に、函館湯川寺の関係者から湯川寺を通じて祐天寺に寄進されました。
11月4日、木之本浄信寺(滋賀県伊香郡)住職の学倫が遷化しました。
法号は常連社真誉上人正阿学倫老和尚です。
学倫は知恩院73世学天(明治3年「祐天寺」参照)の弟子で、学天が小金東漸寺(千葉県松戸市)・瓜連常福寺(茨城県那珂市)の2檀林および知恩院在職中に、納戸役の取締まりを任されていました。
常福寺では霊俊と、知恩院では戒心(明治6年「祐天寺」参照)とともに学天に仕えました。
先年、祐天上人真筆の名号を手に入れた金子愛蔵は、不動尊の同信者にこの名号を印施することにしました。すると、版刻を頼んだ版木師の縁で、浅草観世音古代の絵図を発見し入手することができました。これは不動尊が与えてくれたものと思い、表題に不動尊と祐天上人の絵を加えて『不動尊並浅草観世音古代之絵図』として11月に発行しました。