2月10日、油掛西岸寺(京都市伏見区)の巖谷純成が遷化しました。法号は貫蓮社練誉上人法阿良学純成老和尚です。純成は祐天寺17世愍随の師僧で、養父でもあります。純成の墓は愍随が建立しました。
愍随は明治16年(1883)に純成の養子となりました。純成の遷化後は西岸寺の管理と寺務を行っていましたが、同23年(1890)に正式に同寺の住職に任命され、地蔵堂の再建に尽力しました。
西岸寺の地蔵尊には「山崎の油商人が油を地蔵尊に掛けたところ、商運に恵まれ大金持ちになった」という伝説があります。それ以来、地蔵尊に油を注いで祈願すれば霊験があると言われ、油懸地蔵と呼ばれて人々の信仰を集めています。
3月29日、『祐天上人御一代記』が東京金泉堂より出版されました。内容は『祐天上人御一代記』(明治16年「祐天寺」参照)と同じですが、本書は本文を両面印刷にして作りを小さくし、洋装本に仕立ててあります。11月4日には再版を届け出ていることから、広く一般に読まれたものと思われます。
7月1日、山内家に女児が誕生しました。祐天寺に地蔵菩薩坐像付きの石塔が建てられており、正面に「戌年女子」、右側面に「明治十九年七月一日誕生」、左側面に「山内家」と刻まれていることから、この女児は侯爵山内豊範〔元土佐藩(高知県)16代藩主〕の4女の寿子だと思われます。寿子はのちに子爵大関増輝と結婚し、7人の子どもをもうけました。