明顕山 祐天寺

年表

明治12年(1879年)

祐天寺

大宣、閑居

5月、石井大宣が増上寺を辞職し(明治11年「寺院」参照)、祐天寺に閑居しました。

参考文献
『東京新聞』(1879年5月20日付)、『明治ニュース事典』2(内川芳美ほか監、株式会社毎日コミュニケーションズ、1983年)

宝物拝観

この年、祐天寺において宝物の虫干しを行った折、祐真は警視の許可を受けずに料金を取って宝物を拝観させたため、5月に罰を受けました。

参考文献
『読売新聞』(1879年5月27日付)

正覚寺に名号石塔、建立

11月、高輪正覚寺(港区)に七角形の祐天上人名号石塔が建立されました。石塔には「為 旧西信寺墓地屍 無縁改葬一千余霊 菩提」と彫られており、芝西信寺(現存せず)の墓地を改葬したときに建てられたことがわかります。当時の正覚寺の住職は18世弁応であり、改葬主発起人は木村荘平・北岡文兵衛・花房熊彦です。
また、正覚寺と祐天寺はともに「西方六阿弥陀如来御霊場」の1つです。

参考文献
祐天上人名号石塔(正覚寺)
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