2月、本所番場町(同区)の天台宗普賢寺(関東大震災により府中市へ移転)住職の高山証道が東京府知事の大久保一翁に、同寺持ちとなっていた祐天堂の合併を願い出て、3月12日に許可されました。
この祐天堂は、かつて本所牛島の庵室で修行していた祐天上人が元禄12年(1699)に生実大巌寺(千葉市)の住職となることが決まり、牛島の地を離れることを悲しんだ地元の信者たちによって建てられたものです。祐天上人の寿像が安置されていました。
祐天堂が普賢寺に合併されると、祐天上人像は普賢寺へ遷され、明治26年(1893)には祐天講が結成されていたことが分かっています。その後いつの頃か分かりませんが、祐天上人像は祐天寺に遷され、現在は祐天寺本堂に安置されています。