明顕山 祐天寺

年表

明治元年(1868年)

祐天寺

添島村に石塔、建立

仏誕日にあたる4月8日、添島村(富山県富山市)に祐天名号石塔が天下泰平を願って建立されました。石塔の側面には建立を発願した来迎寺43世樹誉生阿、来迎寺末寺の光得院10世浄誉一音廓然、同15世上誉善頂と、石塔建立の世話人や石工の名前が刻まれています。

この石塔は当初、添島村の神通川岸に建てられていましたが、その後3回ほど移転し、昭和初期に光得院近くの萩島(添島村の隣村)に建てられ、現在に至るそうです。

参考文献
祐天名号石塔(富山県富山市)

真順、遷化

4月10日、祐天寺13世祐興(慶応2年「祐天寺」参照)の弟子の真順が遷化しました。真順は慶応元年(1865)10月25日に王子長泉寺(大阪府貝塚市)の住職を拝命しました。真順の法号は、長泉寺の位牌には冠蓮社頂誉住阿在現真順和尚と記されていますが、祐天寺の『本堂過去霊名簿』には冠蓮社頂誉上人孝阿真順和尚と記されています。

参考文献
真順位牌(長泉寺)、『本堂過去霊名簿』、『寺録撮要』1、『天正資料』

溶姫、逝去

5月3日、加賀藩(石川県)13代藩主前田斉泰の正室である溶姫が逝去し、祐天寺に位牌と法号が納められました。法号は景徳院殿舜操惟喬大禅定尼です。

溶姫は11代将軍家斉の息女で、溶姫の住んだ屋敷の門は現在の東京大学正門(赤門)です。

参考文献
溶姫位牌

極楽寺に氷見屋墓、建立

8月、富山極楽寺(富山県富山市)に祐天上人名号付き氷見屋の墓が建立されました。氷見屋伝右衛門が先祖代々の供養のために建立したものです。1つの台石の上に同じ形の塔身が2基建てられ、それぞれに20霊の戒名が刻まれています。

参考文献
氷見屋墓(極楽寺)
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