8月、祐天寺に祐天上人名号付きの竹原家供養塔が建立されました。
7代目竹原文右衛門光儀の祖母けい(文久2年「祐天寺」参照)は、若い頃から篤く三宝に帰依し、特に祐天上人の高徳を尊び、祐天上人の名号を刻んだ石塔を祐天寺境内に建立して先祖代々の冥福を祈りたいと長年願っていたそうです。しかし、志を遂げることなく文久2年(1862)8月9日に亡くなったため、その遺志は光儀に受け継がれ、けいの1周忌に果たされました。
供養塔の台石にはけいのほか、けいの夫である5代目文右衛門と、6代目文右衛門夫妻、7代目文右衛門夫妻とその娘、8代目文右衛門とその息子、それぞれの法号が刻まれています。
また、6代目文右衛門の妻つるは下村家(弘化2年「祐天寺」参照)の出身であり、竹原家供養塔の隣には下村家の祐天上人名号付き供養塔も建立されています。