正月、小石川伝通院(文京区)57世で従中興の大円が遷化し、祐天寺に法号と位牌、祠堂金50両が納められました。法号は照蓮社寂誉上人中阿道融大円大和尚です。
大円の位牌には、天保元年(1830)2月23日に芝宿坊大円寮(港区)にて遷化した川越蓮馨寺(埼玉県川越市)34世玄恭が合祀されています。玄恭の法号は青蓮社神誉上人洞阿忘筌玄恭大和尚です。
3月15日、尾道正授院(広島県尾道市)に祐天名号付き常念仏5万日回向塔が建立されました。元禄10年(1697)に正授院で始まった常念仏が、この年5万日を迎えたことを記念して、17世了雄が建立したものです。
正授院では1万日成就するごとに常念仏回向塔を建立しており、祐天名号付きの回向塔はこのほかに4万日回向塔があります(元禄15年「祐天上人」参照)。
3月、大ヶ生瀧源寺(岩手県盛岡市)16世祖俊の代に、祐天上人名号碑が建立されました。瀧源寺は安土桃山時代に、開基の大萱生秀重の帰依を得て開山された曹洞宗の寺院です。
5月6日、土佐藩(高知県)山内家の祐仙院(天保12年「祐天寺」参照)附きの老女である智法院が逝去し、祐天寺に葬られ法号が納められました。法号は智法院明蓮社勝誉祐山妙香法尼です。
『本堂過去霊名簿』に「麻布谷町百足屋孫兵衛出」と記されていることから商家の出身とわかります。
6月、仁王門の修復が終わり、棟札が納められました。棟札には祐興により名号が書かれています。また、宿坊の観随、役僧の専寥、納所の祐巖の名も書かれています。
7月16日、土舘村石田(岩手県紫波郡)に祐天上人名号碑が、同村弥勒地には祐天名号碑がそれぞれ建立されました。いずれも同村の和讃講中が天保の大飢饉による餓死者の17回忌供養のために建立したものです。
付近には25回忌にあたる安政4年(1857)7月16日に建立された供養塔もあることから、同講中では毎年7月16日に和讃供養を行っていたと思われます。また、弥勒地の碑には6人の施主名とともに「右ハいなり道」と彫られ、道しるべにもなっていました。
7月24日、千住公春院(荒川区)に祐天上人名号付き三界万霊塔が建立されました。施主は廿四日講中です。公春院16世了厳の代に建立されました。
11月、唐沢山阿弥陀寺(長野県諏訪市)に祐天上人名号石塔が建立されました。石塔に「施主 文出村 山田某」「為総誉智覚常輪比丘菩提」と彫られています。