明顕山 祐天寺

年表

文政7年(1824年)

祐天寺

香堂実兄、逝去

4月11日、香堂(文政6年「祐天寺」参照)の兄である北川宇八が逝去しました。
法号は釋諦信信士です。

参考文献
『本堂過去霊名簿』

瀬川母、逝去

12月23日、本丸年寄の瀬川の母が逝去しました。
法号は保光院殿堅操貞雅大姉です。瀬川は溝口家(「説明」参照)の出身です。

参考文献
『本堂過去霊名簿』

説明

溝口家と祐天寺

越後(新潟県)新発田藩主の溝口家から、いくつもの法号が祐天寺に納められています。その中で中心人物と見られるのは天保3年(1832)に逝去した本丸年寄の瀬川で、この人物だけが分骨埋葬されています。

瀬川の父母(「祐天寺」参照)、現光院殿玉峯良瑞居士(溝口駒之助。直侯の子息)、麗章院殿安室普明大姉(直温の娘、毛利匡満の正室)、貞裕院殿璋誉慈観芳純大姉(直養の娘、松平左兵衛督直周の正室)ほかの法号が納められています。

参考文献
『本堂過去霊名簿』、『藩史大事典』
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