明顕山 祐天寺

年表

文政5年(1822年)

祐天寺

祐麟実父、逝去

7月10日、のちに祐天寺10世となる祐麟の実父である、山城国西岡下久世村(京都府京都市久世村)の木村与兵衛が逝去しました。法号は壽誉法屋淨心禪定門です。

参考文献
『本堂過去霊名簿』

玄雅、西化

11月24日、本芝(港区)西應寺住職であり、祐天寺の開山伝記の校正を行った玄雅が、西化しました。法号は深蓮社搜誉上人玄雅老和尚です。

参考文献
『本堂過去霊名簿』

祐麟弟、逝去

10月2日、祐麟の弟が逝去しました。
法号は愍厚悼哀童子です。

参考文献
『本堂過去霊名簿』

出版

『昔語成田之開帳』

山東京山の累物の合巻『昔語成田之開帳』が書かれました。

宮城野の判官頼兼の家臣、今津十三郎は、大磯の廓三浦屋の新造絹川と深い仲です。ところが奥の局沖の井に言い寄られたので、それを断ります。沖の井の恨みを買った十三郎は仕組まれて、おはしたの醜女かさねと不義をしたということにされ、お家を追放される、というように筋が展開していきます。

参考文献
『昔語成田之開帳』(東京大学蔵)
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