7月10日、のちに祐天寺10世となる祐麟の実父である、山城国西岡下久世村(京都府京都市久世村)の木村与兵衛が逝去しました。法号は壽誉法屋淨心禪定門です。
11月24日、本芝(港区)西應寺住職であり、祐天寺の開山伝記の校正を行った玄雅が、西化しました。法号は深蓮社搜誉上人玄雅老和尚です。
10月2日、祐麟の弟が逝去しました。
法号は愍厚悼哀童子です。
山東京山の累物の合巻『昔語成田之開帳』が書かれました。
宮城野の判官頼兼の家臣、今津十三郎は、大磯の廓三浦屋の新造絹川と深い仲です。ところが奥の局沖の井に言い寄られたので、それを断ります。沖の井の恨みを買った十三郎は仕組まれて、おはしたの醜女かさねと不義をしたということにされ、お家を追放される、というように筋が展開していきます。