明顕山 祐天寺

年表

文政元年(1818年)

祐天寺

海門、遷化

祐水の弟子である、海門が遷化しました。伊丹(兵庫県)正覚寺の住職でした。
法号は方蓮社鳴誉上人和順阿海門和尚です。

参考文献
『本堂過去霊名簿』

名号石道標、油面に建立

9月、祐東の名号を刻んだ名号石塔の道標が、油面高地蔵(享保18年「祐天寺」参照)の脇に建立されました。
柱石側面には「是より祐てん寺道」「祐天寺御膳講中」と刻まれています。

参考文献
祐東名号石道標刻文(目黒区油面高地蔵脇)、「油面地蔵尊と祐天寺」(中島正伍、『目黒区郷土研究』401~403号、目黒区郷土研究会、1988年)

猿楽町地蔵、造立

7月、祐東の名号が付いた猿楽町地蔵が造立されました。台石には祐東の名号のほかに「右 大山道」「左 祐天寺」と刻まれており、この地蔵菩薩像が道標も兼ねていたことが知られます。2霊の法号が刻まれており、願主は袋念とあります。この袋念という人物は、祐東によって剃髪した道心者です。

参考文献
『本堂過去霊名簿』、地蔵菩薩台石刻文(猿楽町地蔵)

出版

『相馬日記』

『相馬日記』がこの年に書かれました。『相馬日記』は高田与清が北総に遊んだ折の紀行文ですが、この中に羽生村法蔵寺の様子が書かれています。住職が累の物語の絵解きをしていると書いてあります。与清は与右衛門の家まで行って、祐天上人が序を書かれた資料や、同上人の名号に法号の書かれたものを見て、累の法号についていろいろと考察しています。

参考文献
『相馬日記抄』(房総叢書2、高田与清、房総叢書刊行会、1914年)、『国史大辞典』)
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