正月7日、白河(福島県)常宣寺住職禅誉定冏は藩の寺社役所からの呼び出しで出頭しました。霊巌寺の方丈が赤子を間引く風習を嘆き、受苦図、祐天上人名号、『祐天上人利益記』を常州などへ遣わしたところ民衆の教化に役立ったので、当領分でも実意の僧に寄託し、民衆教化を進めたいという申渡し書とともに、受苦図の幅、祐天上人名号1、000枚などが渡されました。
閏2月6日、弁山祐輪が示寂しました。祐全の弟子で、麻生浄慶寺(川崎市)15世でした。浄慶寺に住職として8年住み、没年は53歳でした。
8月、白河常宣寺に祐天上人名号付き三界万霊塔が建立されました。
導師は24世定冏です。
白河(福島県)小峰寺(寛政11年「祐天寺」参照)に祐天上人名号石塔が建立されました。
深川講中が阿弥陀堂前用水器2個を寄進しました。直径3尺4寸5分(約105センチメートル)です。
御膳講中1万3、621霊が15日切回向の申し込みをしました。
2月15日、深川三好町(江東区三好)の雲光院に、白子屋の祐天上人名号付き墓石が建立されました。祐天上人の真筆に間違いないとする祐東の文と名が、名号の脇に彫ってあります。
7月に市村座で、歌舞伎『謎帯一寸徳兵衛』が初演されました。4世鶴屋南北と福森久助の合作です。『夏祭浪花鑑』の筋になぞらえて作劇されています。
浪人の悪者大島団七は玉島兵太夫を殺し、兵太夫の娘お梶をだまして「敵討ちの助太刀をする」と言って夫婦となります。しかし、病の末に顔に傷を受けたお梶を入谷田圃で返り討ちにしました。けれどもついにはお梶の姉や、お辰の夫の一寸徳兵衛に討たれるという筋です。お梶の殺し方などに、累物と綯い交ぜにされている部分があるという説もあります。