花巻(岩手県花巻市)の清水氏がこの年、自分の先祖のこととともに花巻広隆寺のことを、『広隆寺旧記』としてまとめました。広隆寺末庵如来堂は元禄年間(1688~1703)、清水氏の祖先甚兵衛が開基し寄進したものです。甚兵衛の息子の佐兵衛が親の志を継いで京都で阿弥陀如来像を造立し、江戸に船で運んで祐天上人に開眼してもらったということです。現在は勝行院にある阿弥陀三尊像がその像であるということです。
7月15日、田安家の関係の子息が寂しました。祐天寺に葬られ、法号は応幻蓮生大童子と付けられました。
12月15日、表裏両門の下馬札の修復について、増上寺役者の添簡を添えて、寺社奉行月番大久保安芸守へ建て替えの願書を出しました。
表門の札は文字が読めなくなり、裏門のほうは柱が朽ち損じたためです。役僧祐愍が持参したところ役人松下三郎兵衛が出会い、預かりとなりました。
この年、山東京伝作の合巻『累井筒紅葉打敷』が刊行されました。お房徳兵衛の話と綯い交ぜになっています。
また、きぬ川よえもんは洛外に住む浪人で講釈語り。お岸という美人の娘がいますが、助坊主願哲という道心者がお岸に恋慕する、というように累物に登場する人物の名前を自由に使ってさまざまな人物に仕立てています。
6月11日より森田座で、累物の歌舞伎『阿国御前化粧鏡』が上演されました。鶴屋南北(文政8年「人物」参照)の作です。尾上松助が夏狂言を一世一代とした上演です。金襖の御殿がたちまち廃屋に変わる仕掛けは大評判を取りました。また、かさね役の栄三郎が湯上がりの化粧をする様子、きれいな顔に阿国御前のしゃれこうべをつけると離れなくなり、あざになる仕掛けなど、さまざまなところに評判になるような工夫がありました。
7月26日より8月10日まで、大坂嵐座で累物の歌舞伎『草紅葉錦絹川』が上演されました。市岡和七の作です。