幡随院31世の観善が『祐天大僧正利益記』(文化5年「祐天寺」、「出版・芸能」参照)の跋文を記しました。
4月、萬屋長八が地蔵堂前と仁王門前に鉄製の用水器2個ずつを寄進しました。
直径3尺6寸(約120センチメートル)です。
のちに祐天寺11世となる祐梵の兄弟が逝去しました。
法号は諦安恵了法子です。
土州山内豊資室の実母である麗光院が逝去しました。
祐天寺に納められた法号は麗光院殿操譽松嶽貞心大姉です。
下高輪(港区)願生寺の祐天上人名号付き牛供養塔が火災により壊れていまいました。この塔は元文3年(1738)に牛屋7家によって建てられたものです。再建は文政11年(1828)となります(文政11年「祐天寺」参照)。