明顕山 祐天寺

年表

文化3年(1806年)

祐天寺

観善、『祐天大僧正利益記』跋文を記す

幡随院31世の観善が『祐天大僧正利益記』(文化5年「祐天寺」、「出版・芸能」参照)の跋文を記しました。

参考文献
『祐天大僧正利益記』下(祐天寺蔵)、『神田山新知恩寺幡随院』(神田山新知恩寺幡随院編集・発行)

萬屋長八、用水器を寄進

4月、萬屋長八が地蔵堂前と仁王門前に鉄製の用水器2個ずつを寄進しました。
直径3尺6寸(約120センチメートル)です。

参考文献
『祐天寺財産目録』(祐天寺蔵)

祐梵兄弟、逝去

のちに祐天寺11世となる祐梵の兄弟が逝去しました。
法号は諦安恵了法子です。

参考文献
『本堂過去霊名簿』

麗光院、逝去

土州山内豊資室の実母である麗光院が逝去しました。
祐天寺に納められた法号は麗光院殿操譽松嶽貞心大姉です。

参考文献
『本堂過去霊名簿』

願生寺の牛供養塔、被災

下高輪(港区)願生寺の祐天上人名号付き牛供養塔が火災により壊れていまいました。この塔は元文3年(1738)に牛屋7家によって建てられたものです。再建は文政11年(1828)となります(文政11年「祐天寺」参照)。

参考文献
牛供養塔刻文(下高輪願生寺)、『江戸府内寺社書上』(『江戸浄土宗寺院寺誌史料集成』、宇高良哲編、大東出版社、1979年)
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