正月10日、南部信濃守利謹の正室が逝去しました。黒田筑前守継高の娘です。
祐天寺に納められている法号は圓明院殿心月宗鏡大姉です(「説明」参照)。
2月15日、祐全は松本地蔵菩薩像の遷座について記録しました。
その記録はのちに写されて『寺録撮要』に収められています。
5月、祐天上人墓前灯籠のうち1対が寄進されました。
施主は芝飯倉町槍師市右衛門の母(穐誉光月信女)ほかです。
7月4日、祐天寺8世祐応が示寂しました。
法号は誠蓮社實誉上人稱阿愚道祐應和尚です。
祐天寺墓地にある祐応の墓石には、12世祐義も合祀されています。
11月7日、祐東が祐天寺9世住職になりました。
11月18日、のちに祐天寺10世となる祐麟の祖母が逝去しました。木村与兵衛円照の妻でした。
法号は旭誉光壽禪定尼です。
正月10日、南部信濃守利謹(南部利雄の子息)の正室が逝去しました(「祐天寺」参照)。南部家関係ではほかに、別家の八戸藩主南部信真の正室の法号(觀光院殿禪室宗證大姉)などが祐天寺に納められています。
7月、6巻本『祐天上人一代記』の序文が書かれました。同書の発行は享和4年(1804)です。なお、同書漆山又四郎氏所蔵の本は、文化元3年版本です。
祐天上人の伝記を粉飾してつづっている読本で、時代は室町時代に設定されています。羽黒山の山伏龍海房の悪計で、妖術により幼い祐天上人が愚鈍にさせられたなどという逸話も掲載されています。