正月13日、家斉御台所茂子が流産しました。流産の遺骸は翌14日に祐天寺に納められ、清雲院殿露幻大童子(『幕府独胤伝』によると、清雲院殿流響幻幽大童子)と法号が付けられました。祐天寺に墓石があります。
墓石側面には、「御取次御本丸 富田 成瀬/再興御取次 仙遊院殿 嶺岩院殿」とあります。
33回忌(文政12年「祐天寺」参照)の折に墓石を磨いたと『寺録撮要』にあり、それが墓石側面に刻まれた「再興」を表すと考えられます。
4月、勝浦(千葉県)覚翁寺の祐天上人の大名号の裏書きを祐全が書きました。
5月13日、小倉藩主、小笠原右近将監忠苗の実母が逝去しました。
祐天寺に納められた法号は養壽院殿月仙智皎大姉です。
5月25日、前田家加賀宰相治脩の正室が逝去しました。
法号は祐仙院殿圓明保智大姉で、祐天寺に納められています。施主は老女の瀬崎、波尾です。
9月17日、八王子極楽寺24世の祐忍(祐全の弟子)が父母らの菩提のために地蔵菩薩を描きました。
12月16日、増上寺役者中の添簡とともに、寺社奉行月番松平周防守へ地蔵堂建て継ぎの願書を持参しました。
役人高木平左衛門が受け取りました。
この年、浅草覚善院の歓応法印より曼殊院門跡筆の紺紙金泥法華経普門品が寄進されました。