明顕山 祐天寺

年表

寛政6年(1794年)

祐天寺

貞恭院、逝去

正月8日、紀州家徳川治宝(「説明」参照)の正室・貞恭院が逝去しました。貞恭院は種姫と言い、10代将軍徳川家治の養女(実父は田安宗武)でした。

祐天寺地蔵堂厨子に掛け位牌が2基納められており、1基はこの貞恭院殿のものです。位牌の表面には「貞恭院殿祐誉芳蘭慈室大姉 御菩提」とあります。

参考文献
『徳川諸家系譜』、貞恭院殿の掛け位牌の文(祐天寺蔵)

檀州、寂

9月3日、祐天寺4世檀栄の弟子で船橋浄勝寺に住していた檀州が遷化しました。

参考文献
『寺録撮要』1、『本堂過去霊名簿』

祐麟祖父、逝去

のちに祐天寺10世となる祐麟の祖父・木村与兵衛が逝去しました。
法号は琢誉圓照禪定門です。

参考文献
『本堂過去霊名簿』

耆山、寂

4月17日、耆山(寛政2年「人物」参照)が遷化しました。自ら用意してあった青山梅窓院の墓に葬られました。

参考文献
「目黒区の供養塔」(『目黒区の名墓と供養塔』、目黒区教育委員会編集・発行、1979年)

芸能

『舞台花若栄曽我』上演

正月11日より江戸桐座で、累物の歌舞伎『舞台花若栄曽我』が上演されました。重井筒の世界を扱っています。重井筒の後家おるいを初代尾上松助、絹川与右衛門を4代目松本幸四郎が演じました。

参考文献
『舞台花若栄曽我』絵番付(早稲田大学演劇博物館所蔵)、『歌舞伎年表』
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