6月3日、竹姫の局であった芳川が逝去しました。
法号は見珠院殿性誉嘉延法尼です。
祐天寺資料には「芝御守殿若年寄芳川コト」とあります。本性院殿(享保18年「祐天寺」参照)、栴林院殿(寛政3年「祐天寺」参照)とともに合葬された墓石が祐天寺墓地に現存しています。
在禅は、祐天寺で建立された瑞泰院常念仏堂の本尊阿弥陀如来像の開眼供養の際、開眼供養疏の文章を代作した僧で(明和6年「祐天寺」参照)、文化5年(1808)には増上寺55世住職となっています。この当時の在禅は、増上寺学寮の寮主でした。
正月に在禅が講義した『称讃浄土経疏』の「称讃浄土経」とは、玄奘三蔵が訳した『仏説阿弥陀経』のことです。この本についてのいわば解説書のようなものを『称讃浄土経疏』と言いました。『称讃浄土経疏』という本が当時は何冊かあり、在禅はおそらくそれらの本についての講義を行ったものと思われます。