4月8日、高砂十輪寺(兵庫県高砂市)に祐天名号付き一石名号念仏塚が建立されました。発願主は水谷道賀、施主は十万遍念仏行者です。十輪寺にはほかに祐天上人名号軸もあります。
十輪寺には、24世律空悦道の時代に、祐天上人の知己である月西がとどまったという記録があり、この人物によって名号がもたらされた可能性があります。
8月20日、将軍家治御台所である心観院が逝去されました。閑院直仁親王姫宮で、五十宮と称された人物です。
11月晦日、御本丸御使番おこなをもって、尊牌と供養料30両が下し置かれ、永々ご安置、ご回向するようにと祐天寺へもたらされました。御老女松島の世話で、御表使生駒よりの申し付けでした。
7月25日、祐天寺でかさねの100年忌大法会が行われました。歌舞伎の役者たちが参詣して人が多く集まり、けが人が出たので、3日の予定のところを1日で中止になりました。
8月24日、祐全は大垈村(東京都東村山市)地蔵庵へ扁額を寄進しました。当時の地蔵庵庵主は了覚でした(享保14年「説明」参照)。
江戸戸崎町(文京区小石川)の無量院にて、奥州桑折(福島県)の無能寺の阿弥陀如来像と無能像が開帳されました。
無能は常に念仏を称えて人々への教化を行った高僧です(寛延3年「祐天寺」参照)。また、無能遷化後に弟子の不能が創建した無能寺には、祐海が寺号を染筆した扁額のほか、祐天寺と縁の深い品が伝わっていました(元文元年「祐天寺」参照)。
7月21日に中村座で、累物の歌舞伎である『田村麻呂七重累』が初演されました。