4月17日、瑞泰院(天明6年「説明」参照)の病気が重いのでお出くださるようにと毛利重就(松平大膳太夫)の指示で老女多津らから手紙が来ました。即刻祐全が駕籠で向かいましたが、お屋敷に着いた六つ半時(午後7時)頃には、瑞泰院は逝去していました。
その夜は通夜をし、別事念仏を行いました。遺体は白金瑞聖寺に入棺と定まり、かねて祐海より得ていた「祐蓮社高譽」の5字を使って法号を付けたいと毛利家当主は思われましたが、瑞聖寺は黄檗山本寺へ対し済まないので、その5字は避けてくれるようにとのことでした。祐全は除いても良いと返答しました。
一方祐全は毛利家に、瑞泰院は存命中、祐天寺境内に常念仏堂を建立したいとご希望で、金子300両もお預かりしているので、ぜひご追福のために建立してくださるようにと申し入れ、承諾を得ました。
祐天寺での法号は、瑞泰院殿祐蓮社高譽豊安壽映大禪定尼となっています。
6月22日、毛利家の福原三左衛門が来寺し、常念仏堂建立につき、修復料、年回の供養料に祠堂金元金として1、000両を納めることなどを記した書付をもたらしました。
28日、寺社奉行月番久世出雲守へ、常念仏堂建立願いを図面を付けて差し出しました。
7月5日、御鳥見牧野金蔵らが来寺しました。御成場所であるから差し支えないかどうか見分するように、寺社奉行より勧められたので来たとのことで、役僧祐水、香観が案内し、見分を行いました。
9日、寺社奉行へ役僧祐水が参上したところ、常念仏堂の建立の許可が出ました。建立用の仮小屋について、別に許可が必要かどうか確かめたところ、無用とのことでした。増上寺役所へこれらのことを届けました。
翌10日、新地奉行月番内藤伝左衛門へ役僧代観秀をもって建立の旨を届けました。また同日、観秀をもって毛利家へ、9日に建立許可が下りたことと、千部修行後に樹木の伐採などを行うことを告げました。同日、毛利家の役人福原与三左衛門ほかが入来し、常念仏堂の地所を見分しました。祐水、麟了、香観が立ち会い、縄張りをしました。
7月26日より杣方2人ずつに命じ、地所の立木およそ60本を伐採しました。これは8月5日までに終わりました。8月8日より地ならしを行い、24日までに終わりました。
8月24日、地祭を行いました。役僧祐水、納所香観、衆頭堅巌、茶堂2人、祐忍、仙霊の7人が出勤しました。翌25日に柱立初となり、28日には上棟式が行われました。九つ時(正午)過ぎ、大工方の上棟式で投げ餅が済みました。役人福原与三左衛門、石川仁左衛門が上下姿で詰め、常念仏堂内陣へ棟札を安置し、お供え餅を3飾りと神酒を供えました。香観が洒水の役、祐全が導師です。そのほか両僧として観秀、堅巌、茶堂の順生、忍覚、本堂より5僧、奥より祐忍、仙霊、祐穏、侍者として得忍、天旭が参加しました。焼香、四奉請、阿弥陀経、念仏回向を行いました。投げ餅333、鳥目20匹を撒きました。また、大工棟梁へは金100匹、惣大工へ青指1貫文を遣わしました。
9月、毛利家石川仁左衛門が祠堂金600両を持って来寺しました。祐天寺にかねて預かっている300両に利子が付いて400両となっており、合わせて1、000両となりました。練城、麟了、祐水、香観が立ち会い、金600両の証文を渡しました。
10月12日、常念仏堂の入仏供養が行われました。行列で本堂より常念仏堂へ入り、しばらく内幕を下げて本尊阿弥陀如来像と位牌を安置し飾りました。その間ずっと楽が奏でられていました。飾り付けが終わったあと、五つ時(午前8時)より四方の幕を絞り、遷座供養、石碑供養が行われました。本尊の開眼供養疏には、先年阿弥陀仏像の片手を泥の中より発見したことから、祐全が造像の願いを持っていたことが記されています。文章は在禅(安永5年・文化5年「寺院」参照)の代作でした。
また、四つ時(午前10時)より不断念仏開白式が行われました。桜田太守(瑞泰院殿夫君の毛利重就)より代参見崎、若殿より代参繁岡、和田倉奥方より代参有馬上総介奥方、松平土佐守奥方、そのほか諸所より代参がありました。自らの意志で参詣した者も含めて女中方で30人、頭20人、役人など瑞泰院殿お附きの衆が15、6人。いずれも2汁5菜をもって饗応し、台引菓子付きでした。衆僧40人も同様です。導師には布施金3、000匹、銀3枚、銀5両でした。そのほか諸僧への布施なども与三左衛門がすべて持参し払ったのです。
翌13日、毛利家の桜田屋敷へ役僧祐山を遣わしました。祐山は常念仏堂入仏供養が済み、常念仏が開白された報告とお礼を申し述べました。祐全は十夜法会中であり他出が困難なので代僧祐山を遣わしたのです。
17日、桜田屋敷へ祐全は直参し、お礼を述べました。 なお、常念仏堂扁額が完成するのは天明4年(1784)です(天明4年「祐天寺」参照)。
7月3日、祐水の実父である中嶋治郎助が寂しました。信州高梨の人でした。
法号は福聚院實参性悟上座です。
6月16日、土井大炊頭より呼状が来ました。祐全が出頭したところ、ご紋付きの品について書付が渡されました。浄岸院殿、蓮浄院殿らからの寄付の品についても今までどおり使用して良い。紀州からくだされた品については、紀州の御用に関しては使用して良いが、そのほかの用に使用してはならないというものでした。
4月11日、江戸外記座で人形浄瑠璃『絹川累物語』が初演されました。段名は「島原の段」、「清閑寺の段」、「山の段」、「館の段」、「絹川村の段」、「土橋の段」、「埴生村の段」、第8段の段名は不明で、最後は「揚屋の段」です。