3月15日、祐全は新妻氏先祖代々の菩提のために、いわき常楽院に伏鉦を寄進しました。現在、その鉦はいわき最勝院にあります。
祐全は、4月8日、富山稲荷大明神を勧請しました。富山という名は、「富貴天之祐」という言葉に因んだものです。
6月、武州多摩郡和田村念仏堂を祐天寺の末寺にして欲しいという申し出がありました。同堂は正保元年(1644)に一安という発心者が建立し、それよりずっと常念仏を修してきた堂です。5間(9.1メートル)四面の堂と、9尺(3メートル)に2間(3.6メートル)の閻魔堂、2間に5間の居休屋があります。
6月、土井大炊頭よりお触れがあり、葵紋の付いた寄付の品については寺社奉行に伺って指図に従うように、ただし霊牌などがある寺院で、その人物の法要に、紋付きの品を使う分には苦しからずと、お達しがありました。
祐全は本丸老女高岳の指図を仰ぎ、格別のところであるから今までどおりで良いと、表使い生駒を通して返事をもらいました。そこで、8月29日、土井大炊頭へ伺書に老女の内意書を添えて提出しました。増上寺役者の添簡も添えました(明和6年「祐天寺」参照)。
この年、天英院寄進の打敷と水引を、開帳につき、御台さま(閑院直仁親王姫君五十宮)が修復されました。
7月15日、大坂幾竹嶋吉座で浄瑠璃『粧水絹川堤』が上演されました。城主が傾城に夢中になり、それがもとでお家騒動が始まるなど、伊達騒動を題材にした作品と共通性を持つ作品です。
7月15日、森田座で歌舞伎『伊達模様雲稲妻』が上演されました。累と高尾という役名が劇中に現れ、累は伊達騒動に結び付けられて描かれています。