8月4日、檀的が遷化しました。法号は顕蓮社法誉上人愚阿檀的和尚です。新妻重春(宝永元年「祐天上人」参照)の嫡男で、祐天上人の妹の孫にあたります。祐天上人の弟子として修行を積みました。享年41歳、法臘(出家してからの年数)は32年でした。増上寺一文字席に列していました。孤雲室(宝永5年「説明」参照)の寮主でもあったようです。祐天寺への貢献が大きく、宝暦3年(1753)7月4日には准3世が追贈されました。
12月、北大森村地主嘉右衛門より畑地を買い取り、大森薬師堂(享保16年「祐天寺」参照)の地所としました。また同月、西大森村覚左衛門所持の土地を買い取り、これも薬師堂の地所としました。
この年、奥州桑折(福島県)無能寺に寺号額、位牌、御台天目が寄進されました。扁額は祐海の染筆で、位牌、御台天目は松姫(享保4年「人物」参照)の母の利清院が、松姫の菩堤のために作りおいたものと記録されていますが、現在は確認されていません。無能寺にはほかに、祐天上人念珠も所蔵されていました。