3月6日、自然木阿弥陀三尊像(享保16年「祐天寺」参照)が江戸城に迎えられ、吉宗が上覧されました。
白金本村の秋道が千日参りを遂げた記念として、祐天寺墓地に地蔵菩薩像1基を建立しました。碑文には、享保15年(1730)から享保18年にかけて浅草観音と目黒不動と祐天寺御影前に千日参りを行った旨が刻まれています。
三田大信寺住職であった通外が6月14日に遷化し、祐天寺に葬られました。祐天上人の旧従です。
油面(目黒区)高地蔵には、昔眼病で失明した老婆が、夢告により路傍に埋もれている地蔵尊を探し当て祀ったところ、眼が開いたという伝説があります。油面の村民たちは享保18年の7月24日の地蔵盆の日に、この地蔵菩薩の供養を祐天寺に願い、子供の厄除けと死んだ子供たちの冥福を祈って六十六部供養塔を建立し、地蔵尊とともに祀りました。高地蔵は上に地蔵菩薩像、下に六十六部供養塔という2つの部分から成っています。総高は225センチメートル。供養塔に建立年月日と、願主観了の名が記されています(文政元年「祐天寺」参照)。
7月25日、竹姫の局であった本性院が逝去し、祐天寺に葬られました。
法号は本性院殿覚誉法順大姉です。本性院は享保13年(1728)に逝去した松平兵庫の娘であることがわかっています。松平兵庫を名乗る人物としては、越前家の支流松江松平の分家である広瀬松平家の近朝が享保13年に逝去していますが、法号と逝去の月日が違い、同一人物かどうか確認できません。
9月18日、松村半兵衛が逝去しました。法号は真誉峯月光船信士です。
半兵衛は、夜余りの弥陀(寛延元年「祐天寺」参照)を感得した人物で、むらこと妙船(寛延元年「人物」参照)の義父です。
7月に京の姉川千代三郎座で、累物の歌舞伎『契情藤戸源氏』が初演されました。役者番付に載る角書には、「下総国羽生村・菊累解脱物語」とあります。