春、回向院において誕生寺の法然上人像が開帳されました。誕生寺は法然上人出生の地に建立された名刹で、この上人像は上人自作とされます。像が回向院に着くときと出発するときには、祐海は代僧を派遣して送迎を勤めました。開帳の期間中は3度参詣し、そのたびに目録を献じました。
また、4月1日より閏5月2日まで目黒不動の境内にある三仏堂において、岩船地蔵菩薩像が開帳されました。群衆が大勢参拝し、その折に祐天寺にも参拝する者が多く、例年の夏の千部修行のときほどの大変な賑わいを見せたのでした。祐海は地蔵菩薩像が目黒不動に到着されるときお迎えし、開帳期間中は7度参詣し、やはりそのたびに目録を献じたのでした。
地蔵菩薩を安置している寺院である岩舟山高勝寺より地蔵尊の御影を拝受して内仏とし、ていねいに祀りました。その際、供養のために鳥などの放生も行いました。
9月18日、宝松院雲洞が遷化しました。雲洞は祐天上人の旧従(宝永6年「祐天上人」参照)で、駒込願行寺から宝松院第6世住職を歴任しました。63歳でした。