7月20日、新地奉行による水茶屋場所の見分のため、高林市左衛門が来寺しました。高林は境内の四壁に総囲いにしていた抱え地を見とがめ、名主輿右衛門へ詮議となりました。遂に9月、寺社奉行黒田豊前守までこの問題が達し、吟味が数度にわたって行われ、祐海は抱え地についての願書を出しました(享保12年「祐天寺」参照)。
9月15日、祐天寺近在の前田家屋敷に初茸がたくさん出るので、大納言家重(のちの9代将軍)は初茸狩りに御成になりました。その折、祐天寺にも御成になり、休息をとられました。表門より真っ直ぐ御影堂(本堂)に入られ、それからお休み所へ入られました。祐海はお目見えして献上物を差し上げ、供の方々を饗応しました。初茸も大簣に9杯も採れたそうで、このようなことも御成による吉兆であるかと人々は不思議に思ったそうです。家重は機嫌良く還御されました。
11月20日、唐津清浄寺住職の意詮が入寂しました。檀通上人の直弟で、祐天上人とは同門ということになります。
法号は梵蓮社通誉上人意詮和尚です。
11月22日、祐天上人の妹が没しました。
法号は然誉智法信女です。