明顕山 祐天寺

年表

享保10年(1725年)

祐天寺

竹姫よりの指示

正月8日、竹姫より常憲院殿(綱吉。竹姫の養父であった)と浄光院殿(綱吉正室の従姫。関白鷹司教平の娘)の位牌を阿弥陀堂へ建てることにつき、おふた方の膳具足、掛盤、三ツ具足などを納め、永く供養申し上げるよう指示がありました。

参考文献
『寺録撮要』2

千部講会

正月15日、江戸堀江町の森田仁右衛門が千部法要助成のために発起して、祐海に千部講会を願い出ました。1人毎月50銭ずつ4年間にわたって懸銭を出し〔ただし懸け切り(1回払い)は2歩〕、毎年7月20日に施餓鬼法要を執行するというものです。

参考文献
『寺録撮要』4、『明顕山起立略記』

松坂西方寺の不断念仏1万日、結願

元禄10年(1697)に森田直往からの寄進がきっかけで始まった松坂西方寺の1万日不断念仏(元禄10年「祐天上人」参照)は、この年めでたく結願しました。28年の歳月が流れていました。

参考文献
「清水西方寺と祐天上人」(玉山成元、『祐天ファミリー』8号、1996年9月)

竹姫、逆修

2月10日、竹姫代参の局が来寺し、竹姫が法号と法衣を受けたく思っている旨を話していきました。法号は祐天上人がすでに与えられていたので、同じものを書いて渡しました。法号は法岸院殿信誉壽蓮祐光大法女です(寛保2年「祐天寺」参照)。法衣は新しく作り、追って差し上げることにしました。

参考文献
『寺録撮要』2

竹姫局の逆修石塔、成就

4月13日に竹姫お附きの局が参詣し、阿弥陀堂で香剃式を済ませて石塔供養をし、仏間で五重相伝を済ませました。その際に、竹姫が局にことづけた、竹姫染筆の一枚起請文を下されました。

参考文献
『寺録撮要』2

祐天上人同庵天室、入寂

7月1日、祐天上人と同庵であった天室が入寂しました。法号は長蓮社団誉上人天室和尚です。一文字席(「解説」参照)のときに増上寺を隠遁した上人です。

参考文献
『本堂過去霊名簿』、『浄土宗大辞典』

芝安養院円貞、入寂

8月20日、安養院円貞が入寂しました。祐天上人の代に寺家役者(増上寺録所の役職名。御霊屋料の出納の管理などを行った)を勤めた人物です。法号は然蓮社彰誉上人円貞和尚です。

参考文献
『本堂過去霊名簿』、『浄土宗大辞典』

森田直往、逝去

11月26日、森田直往(本名は次郎兵衛宣暉、法号は光土院生誉直往大徳)が逝去しました。直往は祐天上人の長年の信者で、松坂西方寺の不断念仏の基礎を作った人物です(「説明」参照)。この年その不断念仏の結願を見届け、逝去したのでした。

参考文献
『本堂過去霊名簿』

説明

森田姓の信者たち

祐天寺には森田を名乗る信者がいく人かいました。ここで、それらの人々を整理してご紹介しておきましょう。

1、森田市左衛門……紀州出身で、祐天上人が増上寺住職時代に奉公し、上人が一本松に隠居されているときに本尊の開眼を願い、それから日本回国に出かけました(『寺録撮要』2)。日本中の霊地霊山の土を集めて5年後に戻りましたが、すでに祐天上人は遷化されていました。市左衛門はその土を祐天寺の香残に預け、享保9年(1724)建立された祐天上人廟塔の下にその土が蒔かれました(享保9年「祐天寺」参照)。

享保20年(1735)に施主として人の供養を祐天寺に依頼しています。享保11年逝去の「江府本船町森田内」の「扶桑回国載誉清運」、享保10年逝去の「日本回国人」、「往誉得生大徳」は、それぞれ法号や説明から、森田市左衛門と一緒に日本中を巡った人物ではないかと思われます。また、市左衛門の家は本船町にあったことがわかります。市左衛門は紀州野上平野村の大日寺に葬られました(『本堂過去霊簿』)法号は本誉浄入。

2、森田直往……直往は本名を森田治郎兵衛宣暉と言います。法号は光土院生誉直往大徳です。紀州の富裕な商人で、菩提寺の松坂西方寺に元禄10年(1697)に500両を寄進し、不断念仏1万日が起こる基礎を創りました(元禄10年「祐天上人」・享保10年「祐天寺」参照)。享保10年11月26日に逝去し、祐天寺に葬られました。

3、森田仁右衛門……堀江町1丁目に住んでいた仁右衛門は、発起して千部講会を享保10年に始めました(「祐天寺」参照)。この辺りの土地に顔の広い人物だったと思われます。

寺院

京で法然寺ほか、焼亡

7月1日、京の京極綾小路通りにあった法然寺から上がった火の手は、隣に位置する空也堂も焼き、この火事により両寺院は焼亡してしまいました。法然寺は法然上人の弟子である熊谷直実が開いたと言われる寺院で、のちに再建され法然上人坐像が今も伝わります。空也堂は、念仏踊りで知られる空也が開創したと伝えられる寺院です。

参考文献
『京都・山城寺院神社大辞典』(平凡社地方資料センター編、平凡社、1997年)、『続史愚抄』後編(黒板勝美編、『国史大系』第15巻、吉川弘文館、1966年)

出版

『万葉集僻案抄』

『万葉集』の注釈書。荷田春満(享保11年「人物」参照)著。享保10年頃の執筆。『万葉集』巻1の全釈。1首を原文で掲げ、次に訓みと語句に対する注解を施しています。春満の注釈書中最も流布しているもので、賀茂真淵が『万葉集考』を執筆するために参考にしています。

参考文献
『日本古典文学大辞典』
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