2月4日、祐天上人は増上寺大僧正了也上人とともに江戸城に呼ばれました。そして、十八檀林の1つである、生実大巌寺(千葉県)に入住することを命じられたのです。一度増上寺を出て民間にあった僧侶が、檀林の住職に迎え入れられたのは祐天上人が最初で最後です。通常檀林の住職になるには、選挙を行い、その結果を将軍が認可する方式が採られていました。この方法を採らずに民間から抜擢された祐天上人の大巌寺入住は、極めて異例のことだったのです。これには桂昌院の意向が大きく働いていました。桂昌院は、祐天上人の大巌寺入住を祝して「純子幡十二流」を贈ったようです。このとき祐天上人は62歳でした。
8月2日、祐天上人が江戸に上るとき頼った増上寺の叔父、休波和尚が亡くなりました。祐天上人の大巌寺入住を知ってからのことですので、満足しての遷化だったことでしょう。
生実大巌寺は千葉市中央区大巌寺町にあります。16世紀中頃、領主原胤栄が貞把上人に帰依して生実城外に堂を建立し、上人を迎えたのが始まりです。竜沢精舎(道場)とも言い、檀林教育の道場となりました。また、生実版と呼ばれる古活字版の出版を行いました。
開山貞把上人については成田山不動堂に参籠した際、剣を口中に突き込まれて鈍血を吐き、それ以降賢くなったという伝説があり、大巌寺寺宝の中に「鈍血の衣」などがあります(慶安元年「伝説」参照)。境内には成田山不動の御別体である不動尊をまつる不動堂があります。寺宝の中には、祐天上人が在住当時書いたと思われる祐天名号があります。