祐天上人は、いわきにある生家の菩提寺最勝院の復興のために、元禄6年(1693)に引き続き、同院にたくさんの寄付をしました。山内に今も残る粉河屋久左衛門作の双盤には「施主三界萬霊 願主祐天」とあり、祐天上人が寄進したものであることがわかります。自らが施主とならないところに上人の徳がしのばれます。
さらに祐天上人は、領主内藤能登守義泰に仏資糧を託す形で、最勝院の別時念仏の永久維持を図りました。仏資糧は680俵(現在の約1、600万円に相当)にもなりました。これにより以後、内藤家より毎年最勝院に「常念仏賄料」として相当の米、金子などが給与されました。これは明治の廃藩置県まで170年間受け継がれたのでした。
『善導寺と祐天上人』には、祐天上人直筆名号の写しが記録されています。名号の裏には元禄7年正月2日、善導寺不動尊日牌料として金子100両(600万円相当)を施主として納めたことが書かれています。
最勝院の場合も、善導寺の場合も、寄進の額は一介の隠遁僧にできる額をはるかに超えています。祐天上人の名号の功徳が知れ渡り、それを求める人たちの寄進する浄財が、祐天上人のもとに集まっていたことがわかります。