この年、祐天上人は「六度大網」の算題で増上寺の下読法問の講師を勤めました。「下読法問」とは、檀林で行われていた授業方法の1つで、宗義に関する問題を出して問答を行うものです。上位の者が問題を読み上げるのを上読法問と言い、下位の者が上位の者へ問題を読み上げるのを下読法問と言いました(延宝4年「祐天上人」参照)。
下読は九部のうち下の2部、「名目」と「頌義」を対象としていました。法問主は月行事が順番に行い、法主に代わって論議の是非を判定しました。授業の時期は3、5、9、11月の年4回でした。
この年、祐天上人が下読法問の講師をしたということは、この時期に月行事の十二僧の地位にあったという事を示します。
10月8日、祐天上人の父君新妻小左衛門重政が逝去され、菩提所、いわき最勝院に葬られました。
法名は「本覚院楽誉浄安居士」です。