明顕山 祐天寺

年表

天和02年(1682年)

祐天上人

高弟祐海、誕生

天和2年いわきで、のちに祐天寺を起立して、祐天寺第2世となる祐海が誕生しました。祐海の父は新妻小左衛門政義、母は祐天上人の妹と言われています。

参考文献
『寺録撮要』1、『愚蒙安心章』(祐天寺蔵)

伝説

金五郎、没

羽生村事件(寛文12年「伝説」参照)の菊の婿、金五郎が2月20日に没しました。寛文12年(1672)の、累が菊に取り憑いた事件から数えて11年目のことでした。

参考文献
『法蔵寺資料』

寺院

霊玄、増上寺に住す

2月18日、増上寺28世詮雄が伊勢梅香寺に隠居しました。跡を継いだ厳宿は7月26日にすぐ隠居し、8月に飯沼弘経寺霊玄が30世となりました。
霊玄は、出羽国(秋田県)田沢城主、田沢孫左衛門尉の子息で、大坂の陣で豊臣方につき、一族滅亡後、奈良に隠れ、霊岸院に入って出家し、その後瓜連常福寺で修行しました。延宝2年(1674)滝山大善寺、同8年(1680)弘経寺にそれぞれ住しました。増上寺法主となってからは、浅草霊山寺を復興するなど活躍して、貞享3年(1686)退隠しました。


江戸大火で諸寺院類焼

12月28日、暮れも押し迫った江戸に大火が起きました(「事件」参照)。未下刻(午後3時頃)、駒込大円寺から出火し、江戸の中心部をすべて焼き尽くしました。両国回向院、深川本誓寺、知足院も焼け落ちました。湯島天神切り通しの萬徳院、専念寺、常徳寺、浄心寺なども類焼し、この4か寺はのちに駒込、深川などに移転しました。深川芭蕉庵も火に囲まれ、芭蕉は潮に浸りながら煙の中を逃れたということです。
増上寺学寮の了翁僧都は、4年間蓄えた書籍代1、200両余の金を、火事で家財を失って途方に暮れる人々に分け与えました。

参考文献
『浄土宗大年表』、『浄土宗大辞典』、『武江年表』

出版

『好色一代男』

浮世草子(「解説」参照)。井原西鶴(元禄元年「人物」参照)著。天和2年刊行。『源氏物語』の54帖にならって全編54章になっています。富裕な町人と高名な遊女との間に生まれた世之助の7歳から60歳までの好色生活を描いたものです。8歳のとき10歳も年上の人に恋をし、しだいに色道に溺れ込み、15歳で子供が生まれますが捨ててしまうのです。34歳のときの父の死で莫大な財産を相続し、このお金で一層遊女とたわむれます。60歳になっても好色が治らず、女護の島へと船出して行方知れずになるという内容です。
冒頭では、「桜もちるに嘆き、月はかぎりありて入佐山、爰に但馬の国、かねほる里の辺に、浮世の事を外になして、色道ふたつに寝ても覚めても夢介と、かへ名よばれて」とあり、桜や月の美しさをめでるよりも、色道に打ち込むほうが良いと言っています。好色の世界に生きる人間の心情を的確に描いており、また自由を制限されていた近世の町人にとって、世之助の自由な生き方そのものが願望であったために、当時の町人に広く読まれました。

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