明顕山 祐天寺

年表

正保4年(1647年)

伝説

累、殺害

8月11日、下総国(茨城県)羽生村で残忍な殺人事件が起こりました。農夫与右衛門は、妻累とともに刈り豆を収穫した帰り道、重い豆を妻に背負わせておいて、川に突き落とし、のどを締めて殺してしまったのです。与右衛門は入り婿でしたが、舅姑はすでにありませんでした。醜く、また嫉妬深い累には飽き果てていたところから、この女を殺して財産を手に入れ、違う妻を迎えようという、いわば色と欲との2股かけた犯行だったのです。殺害後、与右衛門は何食わぬ顔で、累の死体を菩提所法蔵寺に運び入れ、頓死と断って埋葬しました。事件はこれで終わってしまうかに見えました。しかし、これが数十年後に祐天上人の名を高からしめる大事件となるのです(寛文12年「伝説」参照)。

参考文献
『死霊解脱物語聞書』(残寿、祐天寺蔵)
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