明顕山 祐天寺

年表

寛永14年(1637年)

祐天上人

御生誕

4月8日、祐天上人は磐城で誕生されました。奇しくも釈尊と同じ日の誕生でした。一説によると、新妻小左衛門重政の長男でした。生家の場所は、現在の福島県いわき市四倉町仁井田です。この地は海岸線に比較的近く、漁村と農村の中間的場所で、大変信心深い地域でした。

参考文献
『顕誉大僧正伝略記』、「新妻家所蔵系図」(成立年不詳)

伝説

出生の不思議

祐天上人の両親には、長く子供がありませんでした。なんとか子供を授かりたいと願った母は、二十三夜ごとに月を拝すること、多年に及んだと言われます。ある夜、月を見上げ、祈っていると、月がぐんぐん大きくなって、降下したかと思うと、庭の樹木にとまり(この樹木のことを里人は影響の樹と長く呼んだそうです)清い光で邸内一面を照らしました。上人の母が妊娠に気付いたのは、このことがあってまもなくのことです。

この奇瑞には、時代が降るに従っていろいろな要素が加えられ、『行状記』には「1人の高僧が空中に立って告げたことには、『我は地蔵菩薩なり。汝に1子を授けよう』と言って如意宝珠を賜わった」とあります。祐天上人が、地蔵菩薩の化身だという思想の表れでしょう。また、江戸時代後期に流布した『祐天上人一代記』によると、成田山の不動明王が霊剣を自分の口中へ投げ入れる夢を母が見たことになっています。こちらは、不動尊と祐天上人が結びつけられて(慶安元年「伝説」参照)から書かれた作品と見ることができます。

参考文献
『顕誉大僧正伝略記』、『祐天上人一代記』、『祐天大僧正行状記』(祐天寺蔵)、「顕誉祐天の経歴」(巖谷勝正、『大正大学大学院研究論集』20号、大正大学出版部、1996年)

出版

『天海版大蔵経』

寛永14年、『天海版大蔵経』が開版(木版刷り出版)を始めました。大蔵経は一切経とも呼ばれ、仏陀の教説を伝える経蔵、教団や僧侶の規則をまとめた律蔵、仏陀の経説を論述した論蔵の三蔵から成っています。一切経の開版は、鎌倉時代にも行われたものの、寛永寺の開山天海が、徳川家光と企画開版した『天海版(寛永寺版)』が最初のものと言われています。この大蔵経は、木活字を用いて版を組むという画期的な手法により慶安元年(1648)に完成しました。延宝6年(1678)に鉄眼が開版したのが『黄檗版大蔵経』で、現在祐天寺にある大蔵経はこの黄檗版です。これは祐天寺開山祐天上人の随従者である億道和尚から贈られたものです。

参考文献
『寺録撮要』